ISBN:4104722014 単行本 平山 瑞穂 新潮社 2004/12/21 ¥1,470

 僕は常に正しく行動している。姉を犯そうとした「アレ」は始末されるべきだし、頭の足りない無礼なヤンキーが不幸になるのは当然だ。でも、なぜか人は僕を遠巻きにする。薄気味悪い虫を見るように。
 日本ファンタジーノベル大賞 大賞受賞作。

 凄まじい。帯にはカフカ+マルケス=と言う文句がついていたけれど、個人的には薄い牧野修+人情のない重松清=である。
 この絶望感というか、疾走――または失速――感は久しぶり。

 グロテスクで、美しさはないプロットが、これでもかというほど流れるように進んで飽きない。
 ファンタジーノベル大賞と言う事で、章ごとにいくらか現実離れした現実が差し込まれてくる。それもどこか漠然としていて、果たして何かの隠喩なのかとすら思えてしまう。
 深そうな、浅そうな、そんな水たまりを見るみたいな。
 見てるこっちは小学生の脳みそみたいに、足を突っ込まざるをえないのだけれど。

 次作がどういう方向に行くのかで、決まる。
 同じ方向だったら、正直言ってつまらない。
 前回の受賞者、森見さんがそうだったように。

 次は、泣かせて欲しい。

心理ゲームの類。

2005年1月24日
 本日も這い蹲りながらPCです。と言うか、悪化。

 某所にあった心理ゲームをやってみる。この手のゲームは結構好き。
 まあ、だから「女M内」なんて内容が出るのだ。

 どの心理ゲームやっても、たいていマゾだとか女性的だとか内向的だとか出る。
 後者の二つは良いとして、マゾってなんだ、マゾって。
 究極のラブコメSM漫画「殺し屋1」を読んでから、マゾに悪いイメージしか湧かない。まあ、Sに良いイメージも無いけれど。
 なんてロマンティックなんだ。

 叩かれて気持ちが良いのか、叩かれていると言う状況が気持ちいいのか、叩いている人物と自分の関係を想って気持ちが良いのか、そして、叩くのが気持ちいいのか、叩いていると言う状況が気持ちいいのか、叩かれている人物と自分の関係を想って気持ちが良いのか。
 深い世界ではある。
 入り込みたくはないけれど、その手のページを読みあさると結構面白いから困りもの。どこまでがネタなのか境界線が見えない。

 深い。深いよ、性癖。

ライヴ……

2005年1月21日
 YOGURT-poohのライヴに行けそうもない。
 体調不良、腰痛と、なぜ重なる。動けないというのは、現状精神的にもかなりきつい。

 そんな中、下記のような本を立て続けに読むと、なんかぐっちゃぐちゃになる。
 息抜きに太宰治でも読んでやろうか。

 なんてロマンティックなんだ。

火車

2005年1月20日 読書
ISBN:4101369186 文庫 宮部 みゆき 新潮社 1998/01 ¥900

 皆様いかがお過ごしでしょう。
 やはり世界にはまだまだ見た事のない暗部が多くあると実感した昨今。

 たとえばこの本。
 自己破産、その中でもローン破産やカード破産に焦点を当てた作品。
「破産」「借金」という二文字に追われた、二人の女性の人生は。

 自己破産やカード破産をする人間のイメージは? だらしなくて自己管理が出来ていない人間。たぶん、この作品が出た当時はそれが「当然のイメージ」だった。
 たぶん現在でもそれは続いていると思う。

 もちろんそう言う一面もあるのだけれど、あくまで「一面」であることが、結構わからない。
 なんでもそうで、ニュースで伝えられた一面だけをその全体像としてみんな語りたがる。物事ってそんな単純な事か。
 不登校、引きこもり、自己破産、中絶、自殺、殺人。
 その負である「事象」自体を悪だと排他するのは簡単。けれど、そこに存在する「人間」まで決して見ようとしない。
 それも良いとは思う。だいたい、そんな抱えきれるわけがないし。ただし、軽はずみな言葉は無意味なとげを持つ。
 見ようともしないのに、何を論じる?

 個人が個人を保って生活する事なんて、よほど達観した人間じゃないと無理だ。その「場」や周囲に左右されて移ろう。
 じゃあ誰が断罪(司法に限らず)できるのか、って考えていくと結局は民衆なのだから質が悪いね。
 悪循環だけど、他にどんな方法があるのかってわからない。でも、この本がみんなに届けば、少しは良いんじゃないか、と思う。

 そんな傑作。
 なぜこれが直木賞を取らなかったのかと言う謎が、蟠る。
ISBN:4093860726 単行本 片山 恭一 小学館 2001/03 ¥1,470

 与えられる事の「楽」さと、与える事の「楽」しさ。
「し」が入るくせに。

 あらすじは、紹介するまでもないほど有名な本。
 そして、若い人の本。

 面白かったけれど、批判される理由もわかる。しかし、その評価が正しいのかどうかなんて、誰が決めるか。時代は流れている。
 個人的に、逃避行中、いつの間にか死を肯定して話していく電車の中でのシーンはなかなかじんとしてしまった。
 嘘です。「じん」じゃなくて、泣きました。

 妙にお洒落を気取った文章の書き方は、好き嫌いがはっきりとわかれそう。
 フランス映画を芸術的に見てますよ、ワイングラスゆらゆら的な。
 フランス映画はエロいから良いのだ。エロいから。エロエロエロー。

 話がずれた。

 この本を読んでいる最中、傍らに北村薫さんの「リセット」が置いてあるのを見つけて、ふと思い出した。
 その中に宮部みゆきさんと著者の北村薫さんの対談が載っていた。対談中にこんな対話があった。

-引用-

宮部・
 とっても好きなシーンがあるんです(中略)事故に遭うところ。真澄さんが事故の直前「もしもの事があったらわたし、あなたのお母さんに会わせる顔がない」っていうところです。

北村・
 それは、ぜひ使いたいセリフでした(後略)

宮部・
 (前略)今、語られている恋や愛のなかには、この感覚は少ないと思うんですよ。あなたに何かあったら、あなたのご両親に申し訳ない、という感覚は、薄れていると思うんですよ。人に恋したり、愛したりする感情が、相手を思いやる事なら、その中にはかならず親の事もあるはずなのだけれど――。

-引用終わり-

 つまりこれは、現代のお話。
 価値観が変わった現代のお話。それが受け入れられている。
 そう実感。

腰が

2005年1月19日
 歩けないほど腰が痛くなり、這いながらキーボードを打つ初体験。
 今は治りかけてきていますが(それでも、かがめない)、突然どうしたんでしょう私の腰。
 酷使したわけでも、何でもないのだけれど。

 ただ思い当たる事と言えば、唐突に散歩に目覚め、4時間くらい徘徊するのを土日続けた事か。
 足に来ずに、腰に来る不思議。でもそういえば、B氏は歩きすぎて膝を痛めていた、と思い出す。

 あれは単純に歩きすぎだったのだろうけれど。

 私の場合、上半身の自重を腰が支え切れていないんじゃないか、と言う疑いが出てきた。
 そんな馬鹿な事はイヤなので、さすがに痩せたい。
 しかし、ダイエットというのももう少し色気のある理由で始めて見たいものです。

 さて、歩けるようになったので、仕事まで散歩行ってくるかな。
ISBN:4091515126 コミック 山本 英夫 小学館 1998/06 ¥510

「世界の中心で愛を叫ぶ」と同時購入し、こちらを先に読み始め、いつのまにか全巻集めるという暴挙に出る。

 変態。
 その一言以外、特に言葉は出ないのだけれど、面白いのだから私も変態である。

 説明すればするほど変なキーワードでひっかかってきそうな人が多くなりそうなので省く。
 しかし、読んでみてくれとも決して勧められない。
 どうすればいいのかと言うと、つまりどうしようもない。

 ヨコハマ買い出し紀行の横に並べようと思う。
 SHUREのガイコツマイクがスタンドについていたカラオケ屋にいってきました。
 集音率抜群。声が全然割れない。楽しい楽しい。
 こういうアイテム一つで気持ちががらりとかわるので、是非カラオケ屋はボーカル用の返しスピーカーも用意してください。そうすればそこに足を乗っけます。

 しかしこれ、欲しいなあ。

長ねぎメンマ

2005年1月13日 趣味
 飯三杯は行ける。
 最近、今までまったく聞けなかった、考えられなかった事に触れて来て、今まで鼻白んでいたような歌詞や、ストーリーや、内情が掴めてくるようになってきた。
 なるほど、そう言う意味だったのか。やるなあ。と感心しきり。
 しかし、出遅れた気分がして、とても損をした気分である。

 こう考えてみると、やはり絶対普遍的なエンターテイメントなんて存在しないんじゃないかと思えてくる。いや、思うどころの問題じゃないのかも知れないけれど。
 自分が理解できていないのか、作品が本当に面白くないのかなんて、結局受け手に任せられるものだしなあ。線引きは出来ない。
 だから、直木賞だの芥川賞だの、なかなか信用できるはずもない。
 不要とは絶対に言わないけれど。あれがなければ売り上げが出ないだろうし、何らかのそういう「文句」はやはり必要。
 だからって、選考会の趣味丸出しのどうしようもないのが受賞するのはどうかとも思うけれど。
 最近買った小説すばる新人賞の「となり町戦争」も、帯に「天才」が踊っているのに、私にはとんでもなく馴染めなかった。

 じゃあ、どういうものを書けば良いんだろう。創れば良いんだろう。
 分かり切った話で、自分が面白いと思うものを書けば、良いわけだ。
 それがなかなかうまくいかないから、大変なんだけれども。
「ERA」のレビューで書いた「技術と理想が巧くかみ合って」っていう感じ。「良いだろう、これ! がんばったんだ」と見せられれば、それなりにこっちも真剣に見てみる。
「良いメロディが浮かんだんで創ってみました」じゃ、ちょっと面白くない。「へえ」で終わってしまう。
 小説も同じだと思われる。だから、ちょっと前の叙述トリック横行時には辟易としたもんだ。

 誤解を恐れず言うなら「くだらない」フィクション小説を、面白くする努力ってのが、必要なわけだ。
 ちょっと忘れていた。

自損以外の初体験

2005年1月12日
 100Sのニューアルバム「OZ」のレビューを書こうと思っていたのに、車に体当たりするという事態になり、ブルーになる。

 左から車道にでようとしていたのはわかっていたので、スピードを「一応」ゆるめていたら、ぐにょりと大きく車道に出てくる車。一車線をふさぐ。
 右車線を確認する暇もなく、ブレーキ。タイヤはロックして、後輪が滑っていく。なんとか体勢を持たせつつも、右へ右へよけていく。無意識の動作。けれど、結構冷静に「あぶないなあ」なんて考えていた。
 何とかスネを車の右ライトに当てるだけで停止。

 事故をやるといつも思うのだけれど、怪我、損害の大小に限らずとてもへこむ。
 もっとああしていればなんも無かったのに、とか巧い人ならこうしたのだろうな、だの考えて落ち込んでいく。今回もそんなふうに思ってへこんでしまう。

 車にも自分にも、たいした事は無かったので、互いに謝りそれぞれ発進。
 バイクに傷がついていたら、そりゃもう怒りましたが、自分なら別に良いです。

 それにしても、私の愛車ゼルビス君はなかなか止まってくれない。
 500ccの輸出車と同じフレームの250CCで、タイヤのサイズも特殊だったり、変なやつなのだ。
 それでいて、ブレーキはシングルディスクなので止まらない止まらない。上記にも書いたけれど、とにかく後輪が滑るのも持病だ。
 日常的なエンジンブレーキでも後輪が滑っていく。

 だけど、ぶつかる寸前一番思った事は「バイクだけは傷つかないようにしたいなあ」なんて事なのだから、結構愛している。
 そろそろエンジンオイル変えてやるからな、ゼルビス。

ERA

2005年1月11日 音楽
中村一義 CD 東芝EMI 2000/09/06 ¥3,150

 こじんまりと壮大。
 遊び心満載。
 名曲過積載。

 13日発売の100Sのファーストアルバム「OZ」も収録曲数が21曲と多いな、と思っていたのだけれど、なるほど納得。
 このアルバムも20曲収録であるけれど「繋ぎ」の曲が多い。次の曲のイントロ的なものであったり、無音であったり。
 それにまでタイトルを付けてあげて、一枚アルバムとしてまとまっているのが面白い。
 楽曲に関しては言う事無し。技術と理想が巧くかみ合って、そこに作り出された世界観が載っていて、楽しい。

 ジャケットの格好良さもさることながら、歌詞カードが素敵。
 一見、歌詞しか書かれていないように思えるが、一ページ一ページが袋とじ状になっていて、内側に写真がある。
 絶対破れないけれど、じっくり見てみたい気もするのである。
 つまり、保存用と観賞用を買わせる作戦なのか。

 お気に入りは「ショートホープ」と「威風堂々」と……
 と言うより、一曲一曲を拾い上げる気分ではない。
「ERA」が好き。

Sand memotion

2005年1月9日 音楽
ANATAKIKOU CD インディペンデントレーベル 2004/03/03 ¥1,000

 お洒落なジャケットと、静かで動く音に惹かれて購入。
 ギターボーカル ギターボーカル ドラム サポートベースという変則的なバンド。
 どっちかベースやりなよ、と突っ込みたくなる。そのせいか、ベースがおろそかであるというか、ギターの音が前面に出て、少々うるさい感じも。

 流麗なメロディと、甘く深いコーラスをかけて歌う松浦氏。
 どこか昭和風味なメロディと、クレイジーケンバンドっぽい声の持ち主の北條氏。
 ツインボーカルで、それぞれが作詞作曲をこなす。
 なので、これはシングルだから良いけれど、アルバムで聞いて果たして統一性があるのか心配。

 個人的には松浦氏の曲が好み。あの水の流れみたいなメロディは気持ちいいなあ。
 19日にはアルバムが出るようなので、それで追い続けるかどうか、決めよう。

 でも、良い。

警察署潜入

2005年1月8日
 色々あって、警察署内、刑事課へ行ってきました。
 刑事さんと机&書類を挟んで対面して、色々お話を聞いたり喋ったりします。
 警察というのは独特のオーラがある、などと小説内では書かれていたので、ちょっとどきどきしつつ行ったのですが、そこら辺のおっちゃんと変わりませんでした。
 ただ、喋り方はやはり独特。威圧的というわけではないのだけれど、こちらの話をなかなかさせてくれない。
 これで取り調べなんかやられたら、嫌だろうなあ、なんて思う。

 そう言えば、警視庁もそうだったのだけれど、なぜ警察署は外殻が「立」みたいな柱で覆われているのだろう。
 地震対策なのか、それとも防御壁? まさか。
 あれも特徴的である。

 良い経験をしたのだが、もう二度と行きたくないと思いつつ、婦警さんがべっぴんで、署をでる際に「お気をつけて!」と言われたので、にんまりとする。

ベストオブ下ネタ

2005年1月7日
 オフ会にて、様々な下ネタが登場しましたが、私の中のベストワンはやはりあの言葉なのです。

 寒さに震える中、ある人がトイレに立ちました。
 コタツに隙間が出来たのを良い事に、私たちはのびのびとします。
 そして、ある人がトイレから戻ってきて言った言葉は、コタツの空間の無さにたいする不平でもなく、下ネタだったのです。

「ジャバラになってた」

 一瞬意味がわからなかったのですが、意味が分かった瞬間、なんか凄い情けなくなりつつも、なんとハイレベルな下ネタだろうと感心する自分を発見。

 ちょっとした日常の謎もちりばめつつ、昨日の日記からの緩和を試みる。
 トラックバックに対するご返答ー。
 外部に対するトラックバックってのがいまいちわからないので、見ていてくださる事を祈りつつ。

----

 おごった見解かも知れませんけど、今の私たちの世代がインターネットの礎を築いてると思うんですよ(技術では無く、コミュニティという意味で)。
 先駆者。先行者。懐かしのワードです。
 だから、ネットでの出会いというのを当然とするのも、結構私たちの仕事かも知れません。
 ここでこじらせると、後の世代が大変でありますし――というのは大げさ過ぎますか(笑)
 なんか、そう言う意気を持つのも面白そうかな、と思っていたり。

 そのため私は、軽薄であったり、ネット上だけでの人格を演じる人間なんかが、苦手なのです。
 まあ、これは個人的な事なので、同意を得られるとはちょっと思えないのですが。あくまで、娯楽であるべきだとも思いますし。
 ただ、出会い系だとか、テレホンクラブとか、そう言う物と同質とまで貶められるのは遺憾。
 そう言う先入観がある人間に、他意がない事を説明する難しさは、冤罪で捕まった人間が無実を説明する難しさに似てます。
 単純に普通の「きっかけ」と、そう言う感じの意識が普遍的になれば良いんです。

 で、私はそういう意識があまりもてなかった。

 私は現実をだいぶおろそかにしてきたので、そちらをあまり見られなかった。
 だから、現実がなぜか確固としたものだという幻想(?)があって、つまり対比する「ネット」が凄く脆い物に見えていたわけで、そこが凄く不安だったんだと思います。
 対比の対象が、どこまでも想像の中でふくれてしまっては勝ち目がないのは当然なんですが。
 では実際はどうなのだろう。やはり現実の方が確固としているのか。
 かけられた言葉をわかろうとするより、すぐに確認できる方法があるので「理解」すればいいじゃないか。私の結論はそう出ました。
 そういうきっかけで、私は腰を上げて、世間へ出る準備を始めてます。もともと、好奇心だけはありますから。
 どうなるかは未知数ですけれど、楽しみなような不安なような。いや、不安がだいぶでかく(笑)

 そのきっかけは、やはり今回のオフでしたから、感謝しています。
 こちらこそ、今後とも宜しくお願いします。
 最近ちょっと夜入れてませんけれど(笑)

----

 現状、引きこもりやら、不登校やらが増加傾向にあると耳に入ってくるので、私みたいな考え方(現実を確固と考える)をする人間が増えるのではと考えます。または逆に、ネットを確固とする人間の存在もありえますね。
 現実を見ずとも、他人と繋がれる。それが原因で。
 それにより回復する事だってありえますけれど、そう言う人間同士が傷をなめ合うのは、現状が素晴らしい、と言い訳が相乗効果であふれ出てきそうで。ちょっと怖い。

 とはいえ、上記のトラックバックに対するレスポンスの内容が、自分を奮い立たせ、言いくるめるための「言い訳」ではないと言い切れなくもないが、いくらかは真摯であり、受け入れて貰えるものではないかと思う。
 この「差」が大きいと思いたい。
(と言うのも言い訳で、と言うのも言い訳でなんてループはやめておく)

 私の場合は、初めてネットに触れた時から、教師の方や、現実の辛みを知った人たちと出会えたので運が良かったのだと思います。
 名前を列挙して感謝を述べたいところですが、おさえつつ、とりあえずいつかお礼に参ります。

 これもまたおごりかも知れないけれど、私がもし回復して、そう言う人と出会う機会があれば、何かしら与えてみたいもんである。
 ウルティマオンライン時代を思い出す。困っている時助けられてお礼を言ったら、必ずみんな「困っている人がいたら、今度はあなたが助けてあげてください」と言っていた気がする。
 そんなノリで。トゥギャザーしたい。

 まあ、こんなスタンスでこんなふうにものを考えている者もいますよ、みたいなね。
 レアケースなのかどうなのか。

敬語

2005年1月6日
 余裕が無く、ちょっと色々考えて、しかし超えると清々しい事を知っているので、色々がんばっています。
 この余裕のなさっぷり、悩みっぷりを見たら、とっきどき(本当に時々)いる私を過大評価する人もげんなりするはずです。

 で、振り返る意味も含めて最初の頃の日記を読み返すと、結構敬語で書いていますね。
 なんか変な感じ。
 吉田修一さんの「パレード」のレビューがどうしても気に入らないので、読み直す事に決めました。
 最近は量産作家になりつつあり、どんどん質が落ちて言っている気がしてならない著者の名作であります。
 直木賞より、個人的にはパレードも受賞した山本周五郎賞のほうが名誉ある気がします。

 牧野修さんのアシャワンの乙女は、なかなか進められない。設定をこのままでソノラマじゃなければ面白そう。
 早川書房さん、牧野さんを逃さないで。

ルポルタージュ

2005年1月5日
 現地、私の頭の中からお送りします。

 漢字練習を再び始めています。
 漢字が書けないコンプレックスなど、そんなもの治せる物の筆頭であるわけで。何をそこで躓いていると自分自身に突っ込み。
 ノートと下敷きとまとまる君を購入。いずれ、ノートに日記を書いていこうと野望を胸に秘める。
 とりあえず臓臓臓臓臓と書き続けて、心臓、臓器、臓物を取得。

 臓物で思い出しましたが、爆笑問題のすすめに乙一さんが出ておりました。
 坊主より長い髪の方が似合っていましたが、その容姿に似合わない駄目人間っぽい感じが好感です。
 大好きな漫画喫茶というワードに笑ってしまう。
 対照的に「切っ掛けは努力であり、才能はついてくるもの」みたいな言葉が印象的。良い風に取り過ぎか。

 しかし、もう26歳か。
 ちょっと驚いた。
ISBN:4894532476 単行本 渡辺 一史 北海道新聞社 2003/03 ¥1,890

 徐々に筋肉が萎縮していく難病、筋ジストロフィー。
 その難病を持つ鹿野氏とボランティア達を追ったドキュメンタリー。

 障害者にとって、当然の権利とはどこまでが許されるのだろう。
 この本の中で鹿野氏は何度も「わがまま」と表現されている。アレやって、コレやって、タイトルにもなった「こんな夜更けにバナナかよ」事件からも、その「わがまま」ぶりが見えている。
 とはいえ、本当にそれが「わがまま」なのか。寝返りも自分でうてない人間が「あれをしてほしい」とボランティアに要求する事が「わがままなのか」どうか。
 意外に考える機会の少ない投げかけを貰った気がする。

 健常者は「障害者なんだから」と押しつけて、障害者は「障害者だから」と卑屈になる。
 これが正しくない、と言いながらも、読む前の私は「遠慮くらいしろよなあ」とか思っていた時もあった。
 何だろう、結局狭い視野でしかなかったのだな。
 24時間他人の手を借りなければ行けない状態で、どう振る舞えるか。ちょっと想像出来なかった。この本を読み終わったあとでも、まるでフィクションみたいに現実感が無い。
 それを生き抜くしんどさって、どんなのだろう。
 考える事は出来る。良い事に、この本という教科書もあるのだから。

 もちろん、ボランティアも人間であるわけだけれど。
 でも、障害があるから、他人の手を借りなければいけない人間だから、何かを我慢し続けなければいけない、と言うのもそれはそれで「正しい」のかどうか。
(もちろん鹿野氏は「障害者だから」という時代遅れの言葉は使わない)
 この本でも何度か投げかけられる疑問。
 ただ障害者を「可哀想」としか思っていなかった人間に、分かりやすく考えさせてくれる。

 しかし、ボランティアの人達だって鹿野氏に負けず一癖も二癖もある。
 障害者じゃない鹿野さんは考えられない、と言うセリフがあるのだけれど、多分ボランティアに訪れた人間もそうなのだろうな、と思った。
 何かしら悩んでいるけれど、その悩みが無かったら自分じゃない、と自信のもてるだろう人達ばかりが集まっている気がする。
 この本の裏の主役は、彼ら、彼女らでもあるわけだ。
「不幸な人間はもう一人不幸な人間を見つけて、幸せになる」という言葉の印象深い事印象深い事。
 不幸やら苦しみっていうのも、そんなに悪いもんじゃない。卑屈にさえならなければ。

 主観で決めつけて、冗長な文章がずっと続く、と言うイメージがノンフィクションにはあったのだけれど、ここまで主観と客観で悩み、問題を真摯に扱い、魅力ある文章で構成されているとは思わなかった。
 もっと多くの人に読まれるべき本。
 オススメ。

こんな夜更け

2005年1月3日
「こんな夜更けにバナナかよ」を読み始める。
 とんでもなく面白い。ノンフィクションってこんなに面白かったんだ。
 障害者という位地、ボランティアという位地、目から鱗である。
 まだまだ中盤で、読み終わるのが勿体ないけれど、早く読み終わりたい乙女心。
 果たしてノンフィクションブーム到来か。

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