ISBN:4894532476 単行本 渡辺 一史 北海道新聞社 2003/03 ¥1,890

 徐々に筋肉が萎縮していく難病、筋ジストロフィー。
 その難病を持つ鹿野氏とボランティア達を追ったドキュメンタリー。

 障害者にとって、当然の権利とはどこまでが許されるのだろう。
 この本の中で鹿野氏は何度も「わがまま」と表現されている。アレやって、コレやって、タイトルにもなった「こんな夜更けにバナナかよ」事件からも、その「わがまま」ぶりが見えている。
 とはいえ、本当にそれが「わがまま」なのか。寝返りも自分でうてない人間が「あれをしてほしい」とボランティアに要求する事が「わがままなのか」どうか。
 意外に考える機会の少ない投げかけを貰った気がする。

 健常者は「障害者なんだから」と押しつけて、障害者は「障害者だから」と卑屈になる。
 これが正しくない、と言いながらも、読む前の私は「遠慮くらいしろよなあ」とか思っていた時もあった。
 何だろう、結局狭い視野でしかなかったのだな。
 24時間他人の手を借りなければ行けない状態で、どう振る舞えるか。ちょっと想像出来なかった。この本を読み終わったあとでも、まるでフィクションみたいに現実感が無い。
 それを生き抜くしんどさって、どんなのだろう。
 考える事は出来る。良い事に、この本という教科書もあるのだから。

 もちろん、ボランティアも人間であるわけだけれど。
 でも、障害があるから、他人の手を借りなければいけない人間だから、何かを我慢し続けなければいけない、と言うのもそれはそれで「正しい」のかどうか。
(もちろん鹿野氏は「障害者だから」という時代遅れの言葉は使わない)
 この本でも何度か投げかけられる疑問。
 ただ障害者を「可哀想」としか思っていなかった人間に、分かりやすく考えさせてくれる。

 しかし、ボランティアの人達だって鹿野氏に負けず一癖も二癖もある。
 障害者じゃない鹿野さんは考えられない、と言うセリフがあるのだけれど、多分ボランティアに訪れた人間もそうなのだろうな、と思った。
 何かしら悩んでいるけれど、その悩みが無かったら自分じゃない、と自信のもてるだろう人達ばかりが集まっている気がする。
 この本の裏の主役は、彼ら、彼女らでもあるわけだ。
「不幸な人間はもう一人不幸な人間を見つけて、幸せになる」という言葉の印象深い事印象深い事。
 不幸やら苦しみっていうのも、そんなに悪いもんじゃない。卑屈にさえならなければ。

 主観で決めつけて、冗長な文章がずっと続く、と言うイメージがノンフィクションにはあったのだけれど、ここまで主観と客観で悩み、問題を真摯に扱い、魅力ある文章で構成されているとは思わなかった。
 もっと多くの人に読まれるべき本。
 オススメ。

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