晴天なり。

2004年11月23日
 祝日、らしく道がすいていたので、仕事に早く着きすぎてしまい20分ほどただ働き。
 部品が二五〇個出来ました。
 こんなに作ってまだまだ需要があるのだから、日本というのは、小さな国で大きな街がいっぱいなのだなあ、なんてとある曲を思い出す。

 帰りも道がすいていた。途中、XJR1300を乗りこなす女性を見つけて、少しだけ追う。シルバーのYAMAHAマークに興奮。女性に対しては別に。
 何か間違っている、と思いつつ、XJRを抜かして帰路へ。

 私はいつも通勤路を巡るのが楽しくて仕方ない。
 理由は単純、バイクに乗れるから、とそして途中の家で犬に会えるから。
 寒い日も、台風の日でさえ外に出されていて、毛がぼさぼさだけれど、目がくるんとしていて可愛らしいのだ。
 その家の前の信号で引っかかるたびに、タンクを叩いて呼び寄せている。最近はどうも飽きられたのか、耳を動かすだけで起きてこない。
 ずっと寝ている。
 いつか触ってやろうと、画策中。

 時間は前後する。

 仕事が終わり、ジャンパーを着て帰ろうかという時。
 目の端にちらりと浮遊するものが映った。小さなシャボン玉が、ふわりふわりと浮いている。
 反射的に指を差し出すと、手を洗ったばかりの私の指に、ぴたりとシャボン玉がくっつく。周りを見渡すと、子供は居ない。他のシャボン玉も無い。
 また指に視線を戻すとシャボン玉は消えていた。

 五時ともなるともう暗い。
 帰路では、犬は暗すぎて見えないし、帰り道であると信号にひかからないから、ゆっくり見る事が出来ない。
 体を倒して曲がりながら、家を覗く。やはり暗くて見えない。夏にはそんな事は無かった。季節が変わったのだと、体感ではなく実感する。
 バイクを立て直す。商店街を抜けて、橋を抜けて、国道一号線を横切って。
 ふと、この国道一号線って、東京まで繋がって居るんだよなあ、なんて思った。
 逆に行けば大阪だ。
 何か、不思議な気分。部位による皮膚の質感の違いにとまどいを覚える感じに似ている。

 帰宅後、風呂に入る。
 石鹸をタオルにこすりつけて、洗う。
 皮膚の質感が分からなくなる感じ。道も洗ってやろうか。

 で、宮部みゆきさんの「誰か」の続きを読む。
 宮部さんの本は、舗装された道路を迂回してドライブを楽しむ感じだ。
 これがこのあいだ読んだ「綺譚集」だと、花壇の多い道を一直線に目的地まで抜ける本だと言える。
 どっちも、気分的なものだったり、趣味的な物で楽しめるかは違ってくるね。

 そして、眠くなるわけだ。
 シャボン玉みたいに不思議な事があっても、結局アスファルトはアスファルト。それが現実。

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