脳死

2004年10月20日
 脳死について勉強中。
 本に入れる予定の「クラシック」は臓器移植に関してのお話なので、当時は臓器移植の資料ばかり漁ってました。
 脳死の事は度外視。つまりそれって、殺人のお話を書くのに加害者の存在を無視しているようなものだった。
 例えが悪いな。幼稚園の話を書くのに、保母さんの存在を無視していたような。なんか違うか……

 古い資料しか手元に無かったので、ちょっと新しいところを漁らなきゃいけませんが、認識がかなり間違っていた事を恥に思う。
 植物状態と脳死の違いを説明しろ、と言われても出来なかった。

 植物状態って言うのは、大脳、つまり考える部分の死を意味していて、脳幹と言う、体の反射を司る部位は生きている状態を言うらしいです。
 手を握れば握り返したり、自発的に呼吸が出来たり出来るわけですな。
 この状態まで移植の対象にしよう、という人がいるのだから恐ろしい。さすがに抵抗があります。

 で、脳幹が死んで大脳が生きている状態もあるわけです。
 こちらのほうが、いわゆる「脳死」に近いわけで、移植が出来る常態なのかは、ちょっと資料不足にて分かりかねます。たぶん、無理でしょうけれど。
 でも、体の反射がないから死んでいるという定義はどうなんだろう、とは思う。
 しかも、はっきりと脳幹と大脳が別々に死んでいるなんて事はレアだそうで、色々二つの部位は相互に関係しあっているわけだから……
 つまりだ、よく分かってないのに「死んでるんじゃない?」みたいなもんである……の?

 まだ勉強不足で疑問符が多くて申し訳ない。

 全脳死。つまり、完全に脳が死んだ状態は、移植可能であるらしい。
 でもこれも上記の通り脳がすべて完全に死んだと、人の意識が死んだと客観的に言い切れる物なのだろうか、と思う。
 まあ、そう考えていったら移植なんて出来ないわけだけれど。

 要約すると。
 今、脳死だの臓器移植だの言うと、取り上げられるのは移植を待つ人々ばかりで、ドナーの事は一切マスコミは触れて無かったんだなあ、と言う事。そして、ドナーの事などあまり考えなかったし、知らなかった自分が居るという事。
 情報操作、と言うか倫理的なものってこうして出来上がるのかな、なんて考えた。

 いったい誰がモザイクを良しとしたのか、それが問題だ。

 冗談はさておき。しかし私は恐らく美談的な物を書くでしょう。
 現実は見たくない。

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