オーディオと自分の頭との、小さな差違
2004年5月15日 コンセントをきちんとしたものに、アンプをしっかりした重い物に、スピーカーの位置はここだ、ケーブルの間に物を置かない等々、オーディオ機器は、こだわり始めるときりがない世界。
でも、なぜそんな面倒くさい世界に魅力を感じる人が多くいるのか。
それはやっぱり「反応」が面白いからなんだと思うんですよ。
自己満足、ではなく「反応」というところが、ポイント。
ケーブルを変えれば音が良くなり、位置を変えればまた音の感じが変わり、コンセントを変えたらクリアになる。
僅かながらも、これほど素直に反応がある世界も珍しいと思いませんか?
そして、反応があればあるほど、飽きる事はないでしょう。
人間の頭も、そんなオーディオの世界と似通っていると思うのですよ。
たとえば数年前の私にとって、太宰治の「人間失格」も武者小路実篤集も、面白いものに思えなかった。
けれど、いろいろな事を経験して、いろいろな事を考えて、今読み返してみると、まるで頭の反応が違うんです。
これは面白い。これは良い。なんてすばらしい。
そんなふうに頭が文字を認識しだしたのです。
文字は変わらずそこに居るのにですよ。頭がかわっただけで、まるで別物です。
CDという同じメディアを、どれだけいい音で再生するか、というオーディオ機器にも同じ事が言えませんか?
真空管のアナログな音が好きな人もいれば、デジタルなAVアンプが好きな人もいる。
人間も、そんなふうに割り切れれば、面白いのになあ。
私の頭は、なんだかアナログな気がします。切り替えが遅いもの。
暖かみのある音を出せれば良いのだけれど。
ちなみに私はオーディオマニアではありません。いい音で聞きたいとは思いますが、努力や環境で変わる頭とは違い、オーディオのほうはべらぼうなぼったくり屋さんですから。
そういえば、スピーカーは、聞けば聞くほど馴染んでくると言いますね。エージングだったかな。
不思議と、これも人間にあてはまったりしないでしょうか。
でも、なぜそんな面倒くさい世界に魅力を感じる人が多くいるのか。
それはやっぱり「反応」が面白いからなんだと思うんですよ。
自己満足、ではなく「反応」というところが、ポイント。
ケーブルを変えれば音が良くなり、位置を変えればまた音の感じが変わり、コンセントを変えたらクリアになる。
僅かながらも、これほど素直に反応がある世界も珍しいと思いませんか?
そして、反応があればあるほど、飽きる事はないでしょう。
人間の頭も、そんなオーディオの世界と似通っていると思うのですよ。
たとえば数年前の私にとって、太宰治の「人間失格」も武者小路実篤集も、面白いものに思えなかった。
けれど、いろいろな事を経験して、いろいろな事を考えて、今読み返してみると、まるで頭の反応が違うんです。
これは面白い。これは良い。なんてすばらしい。
そんなふうに頭が文字を認識しだしたのです。
文字は変わらずそこに居るのにですよ。頭がかわっただけで、まるで別物です。
CDという同じメディアを、どれだけいい音で再生するか、というオーディオ機器にも同じ事が言えませんか?
真空管のアナログな音が好きな人もいれば、デジタルなAVアンプが好きな人もいる。
人間も、そんなふうに割り切れれば、面白いのになあ。
私の頭は、なんだかアナログな気がします。切り替えが遅いもの。
暖かみのある音を出せれば良いのだけれど。
ちなみに私はオーディオマニアではありません。いい音で聞きたいとは思いますが、努力や環境で変わる頭とは違い、オーディオのほうはべらぼうなぼったくり屋さんですから。
そういえば、スピーカーは、聞けば聞くほど馴染んでくると言いますね。エージングだったかな。
不思議と、これも人間にあてはまったりしないでしょうか。
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